スーパーや量販店が出来てからだろうか、地元の商店街や横丁のお店が、段々姿を消し始めてから久しい 歩いて買い物に行ったり、子供が「おつかい」にいく光景もあまり見られなくなった。
・米屋 今は、米屋さんが御用聞きに来たり、配達してくれたりというのも、あまりない
・八百屋 江戸時代、都市の住民の消費に応えるため、あらゆる野菜、乾物、海草、木の実などを扱い、その種類の多さからこの名で呼ばれる。お金は算盤や紙切れの端で計算され、おつりは滑車と錘で吊った籠を引きおろし、出していた
・魚屋 平らな木の箱に、氷屋さんが届ける大きな氷を割って、冷蔵した。家庭に冷蔵庫が普及していなかった当時は、魚や肉などの痛みやすい生鮮食品は毎日買いに行っていた
・肉屋 独特のガラスケースが店の前に備え付けてあった。魚屋よりはしっかりガードされていたようだ
・乾物屋 他の店とはちょっと違い、生々しさがなく、不思議な色の空間だった。
・酒屋 店頭や軒の上の大きな金文字の看板が掲げられ、木箱が高々と積み上げられていた
・金物屋 店先は賑やかで、大きなブリキのタライやバケツ、竹箒などが所狭しと並べられ、中の通路はかなり狭く、沢山の棚にぎっしりと商品が積み上げられていた
・文房具店 沢山ある商店の中でも、駄菓子屋とともに、子供が入れる店だった
・洋品店 学校で使う靴、上履き、体操服を買いに連れられて出かけた。ショーウィンドウにはマネキン人形も
その他、たばこ屋は街角にあって、おばあさんが座っていることが多かった。ガラスのケースが懐かしい。 今は飲物と同じく、自販機がほとんどであろう。それと、夕方を知らせる豆腐屋さんの音も、今は聞こえない。
半分以上は本から引用させてもらったが、私達は昭和30年代の「キャラメルの値段」を失ったのではなく、もっと重要な菫色の選択力を失ったのだ。「キャラメルの値段」とは、キャラメルがどうしてもほしかったころの価値は、何だったのだろうかと言う意味なのである。(ここは千夜千冊から、、)