豊田空間デザイン室

日々のこと
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『キャラメルの値段』-2

updated: 2008年9月23日

 スーパーや量販店が出来てからだろうか、地元の商店街や横丁のお店が、段々姿を消し始めてから久しい 歩いて買い物に行ったり、子供が「おつかい」にいく光景もあまり見られなくなった。

・米屋   今は、米屋さんが御用聞きに来たり、配達してくれたりというのも、あまりない

・八百屋  江戸時代、都市の住民の消費に応えるため、あらゆる野菜、乾物、海草、木の実などを扱い、その種類の多さからこの名で呼ばれる。お金は算盤や紙切れの端で計算され、おつりは滑車と錘で吊った籠を引きおろし、出していた

・魚屋  平らな木の箱に、氷屋さんが届ける大きな氷を割って、冷蔵した。家庭に冷蔵庫が普及していなかった当時は、魚や肉などの痛みやすい生鮮食品は毎日買いに行っていた

・肉屋   独特のガラスケースが店の前に備え付けてあった。魚屋よりはしっかりガードされていたようだ

・乾物屋  他の店とはちょっと違い、生々しさがなく、不思議な色の空間だった。 

・酒屋  店頭や軒の上の大きな金文字の看板が掲げられ、木箱が高々と積み上げられていた

・金物屋  店先は賑やかで、大きなブリキのタライやバケツ、竹箒などが所狭しと並べられ、中の通路はかなり狭く、沢山の棚にぎっしりと商品が積み上げられていた

・文房具店  沢山ある商店の中でも、駄菓子屋とともに、子供が入れる店だった

・洋品店   学校で使う靴、上履き、体操服を買いに連れられて出かけた。ショーウィンドウにはマネキン人形も

その他、たばこ屋は街角にあって、おばあさんが座っていることが多かった。ガラスのケースが懐かしい。 今は飲物と同じく、自販機がほとんどであろう。それと、夕方を知らせる豆腐屋さんの音も、今は聞こえない。

 半分以上は本から引用させてもらったが、私達は昭和30年代の「キャラメルの値段」を失ったのではなく、もっと重要な菫色の選択力を失ったのだ。「キャラメルの値段」とは、キャラメルがどうしてもほしかったころの価値は、何だったのだろうかと言う意味なのである。(ここは千夜千冊から、、)