豊田空間デザイン室

建築ノート
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『竪穴式と高床式』

updated: 2008年9月10日

日本の民家を古くまで遡ると、原始の住まいとして、縄文人の「竪穴住居」が始まりであろう。最初は地面に細い枝を四方につき立て、先端を結び合せた骨組み。ただ、これだと三角の裾のほうが使えないので、地面を掘りくぼめたのである。掘る前の形は現代のキャンプのような非定住式といえる。これが段々進化していったらしい。
 動物との大きな違いは、火を使い、土器と住居を作ったということだ。どこからやってきたのかというと、東北アジアの大陸から。食料は狩猟採集や漁撈なので、「竪穴」でよかったようだ。
 この期間が何と数千年続いて、弥生時代に入る。この頃様々な人種が流れ込んでくるが、中でも南方系の人々が水稲農業をもたらした。この平穏な農民に対して、北方の大陸人は金属武器をもって組織力のある精悍な遊牧民であり、日本を支配しようとしたが、少数派なのでなかなか出来なかった。
 それで、北方大陸人系の天つ神(山神)と東南海洋民系の国つ神(海神)の融合があったようだ。雑多な人種の混融がこの時代にあり、われわれの祖先が形成されたのである。だが、この対照的な人種が同一形式の住居を営んだとは思えず、南方系の人たちは同じ「海洋モンスーン気候」の日本で、故郷の「高床式」住居を建てたらしい。住居だけではなく、湿気の多い日本では、「高床」は穀物を保存するのに都合も良かったのである。