豊田空間デザイン室

建築ノート
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『雨戸、蔀戸、格子』

updated: 2008年12月13日

民家の「雨戸」は開口部上下に取り付ける敷鴨居に溝を彫って、すべらせて開閉していた。梁の下には柱があるので、開口の単位も古くは1間、その後2間に広がり、障子も4枚建てになった。  また、濡縁は室内に取り込まれた縁側となり、雨戸は縁の外側につくようになった。 現在、和室を作る場合は、障子、外側に硝子戸、さらにその外側に雨戸を引くというように進歩してきた。
 町の商家や宿場の旅籠屋は家の前面の全てを開ける必要から、「蔀戸」(今で言うシャッターのようなもの)が用いられた。 ただ、初期のものはかなり重かったので、上下を2枚に分けて、上半分は外に突き上げ、下半分は取外す「半蔀」が発達したそうだ さらに、上半分は二つ折りに畳み込むような進歩もしている。
 「格子」もまた、古くは「隔子」と言い、町家や宿場の建物の表構えに多く用いられる。外と内を隔てる役目があったから、そう呼ばれたのである。 防犯だけでなく、視覚的には内からは外が良く見えて、外からは屋内が見え難い特性がある。 また、日ざしや風量の調節の役割もある。 夏は格子の内側に簾を吊り、冬は紙を貼って建具の代用にもなったようだ。  現在見られる「京格子」「千本格子」は繊細巧緻で美しい。